習慣化について④ そもそも習慣化で悩むことはナンセンスな話し

習慣化について気づいたことがあります。

 

何かを意図して、それを習慣化させようと最初は努力をします。

そして、それを続けていくという努力もします。毎日なり何かを積み重ねて、しんどい時とかサボっちゃうときもあるけど、また頑張ったりして少しずつ自分にかかるストレスが減っていきます。

 

本当の意味での習慣化って無意識に限りなく近いレベルでその行為ができるようになるってことですよね。

そういう習慣化が成功して定着すると、これまで「~ができたらいいな~頑張るぞ」という感覚と、その習慣化するための努力をしている最中の喜びとか達成感とか不安とかが一切なくなるんですよね。

 

行動が当たり前になりすぎて、感激とか自分ってすごいとかいう感覚がないんですよ。あってもすぐに消えてしまう。

たとえば山深い道のりを登山しているとして、頂上でパッと視界が開けてとても清々しい!みたいな感覚がないんですね。

振り返ってみたら、あーいつの間にか当たり前になったなぁという、それほど感情が伴わないものになる。

 

これまでずっと言ってきた「習慣化」っていうものは、多くは自然に自分に身についた習慣ではなくて、「まだ付いていない習慣を付ける」もしくは「悪習慣を断つ」ことを習慣にする場合のことを言ってます。 

 

なので、ある意図のもとにそれが自然にできるようになるように努力を始めるのは前提としてあるんですが、結果としてそれは成功の喜びを味わうためにあるわけではないということ。

 

それがわからないとダイエットはほぼリバウンドするんですよ笑

 

そしてそこに、究極的には習慣化とかを議論するのはナンセンスという考えも出てくるな ということに気が付きました。

 

一度それを知ってしまう、体感してしまうとそれが当たり前過ぎて、「え 君何に悩んでるの?」って感じになってしまうんでしょうね。

 

それができる人は普段から当たり前のように習慣化の行動を実行しているわけで、そもそもそういうことで悩んだり、習慣化される日数を研究したりなんて必要なくなってしまうんですよ たぶん。

 

これまで僕なりに色々考えてきたけど、すべてがくつがえりましたね笑