制約がある方が仕事がはかどる話し⑤ 制約は自分で課してこそ自由になるという話し

昨日の続きなんですが、ちょっとモヤモヤしたので少し 自由 という概念を突き詰めてみたいと思いました。

なので今日も本題まだかも笑

 

もしみんなが憧れる自由ってのが、いわゆる「色々なものからの解放」だと思ったら実はそういう簡単なものではない気がする というようなニュアンスで書いたんですが。昨日ね。

そして、制約が完全に無いくらいなら、外部的に制限をかけられる生活のほうが幸せだったりするのかもという。


確かに例えば、会社のお昼休みとか金曜の終業後すごく開放感に浸れたりという感覚は、制約があるからこその幸福感ですよね。

 

ただそれって突き詰めるとじゃあブラック企業はどうなんだということにもなるんだけど、実際働いていて感覚が麻痺している人もいるわけで、その頃合いが難しい。 

 

結局昨日書いた、自分で制約を課すことができる=自己コントロールができた場合という意味で感じる行動の自由が一番の自由なんだということ。 

満足度が違う。

 

古くからいろんな偉い方々もたくさん自律的自由について説いてきた。

古代ギリシアの哲学者エピクテトスは "自律なきものに自由なし"、

 「社会契約論」で有名なルソーも著書「エミール」中で、"欲望をコントロールする良心をもち自分の軸をもって生きるとき、人は初めて自由だ" と書いている。


カントの解説もこんなのがありました。

www.youtube.com7:20~あたりから。 見ちゃったらNHKに受信料払ってね笑

 

そう思えば、いわゆる「洗脳」というのは、他律をいかにも本人が自律的選択をしているかのように思い込ませるというところに怖さがある。 本人は、自由意志の結果と思いこんで満足してしまうから。


自己洗脳も同じ構図だよね。 気づいてよかった。

 

今日はちょっと抽象的で難しいかも。

難しいことを簡単に書くことも、簡単なことを簡単に書くのもなかなか難しい。それも僕にとっての不自由だ笑